美のナルシシズム

▶現代的自己愛

 

現代社会は、受験勉強など他者と競争して、勝っていくことで、優越感を得て、自分の価値を感じて、自分を大切に思える人が増えています。自分の美しさ、富、名声を求めていきます。もともとは怖がりだけど、体はおびえているけど、心は人に好かれたいとか、繋がりを持ちたいと前向きに生きています。やがて、自分の過敏で反応しやすい体を人前でさらすのが恥ずかしくなり、体を切り離していきます。心と体が離れて、何も感じられなくなります。自分では、何も感じられないけど、他者に良く思われているとか、他者に良く思われている自分は価値があると思うことで、幸せを感じます。子供の頃から怖い人を好きになっていきました。怖い人ほど好かれるように努力していきました。逃げたいとか戦いというのは通り越して、その場に留まり続けました。やがて、心と体が離れ離れになって、何も感じなくなっていきます。自分は人から良く思われている、自分は完璧という世界のなかで生きています。他者に良く思われ、自分を満たすだけの人生に、自分自身の欲望には気づけません。自分で自分を満たしてあげることができないことで絶望している、外見の美しさと振る舞いだけが、自分のすべてで、自分の中身は空っぽで、身体は麻痺しています。自分が自分で何かを感じることができず、他者の反応でしか満たせない。自分の感覚がないから、自分に意識を向けれず、他者にばかりに気がいって、他者に良く思われる生き方しかできない。自分に価値があると思って、自分に自信をつけて、他者に褒められていることを想像して、自分を元気にする。

 

子どもの頃から、外の世界が怖いと、他人にどう見られているかで生きるようになります。周囲を警戒しすぎて、他者のことを怖いと感じると、緊張が強くなり、生活がスムーズにいかなくなるので、生き残るために、自分を強く見せて、良く思われるようします。自分が人に良く振る舞い、良く思われることで、恐怖を感じなくしてきました。次第に、人に良く思われることで自分が気持ちよくなっていきます。離人や解離があって、身体に安心感がなく、何も感じないので、頭の中で自分が凄いと思うことで、自分を守る。体の感覚が麻痺していくと、自分を良く見せて、周りに良く見られるという想像をして、快感を得る。それで、他者から満足を得ることが、安全・安心になり、子供の頃から、怖がりで、安心感がなくて、人の影響を受けてきました。自他の境界があいまいで、他者の感情が入ってきたり、視線を感じてきて、常に、緊張を強いられながら、人に良く思われるために、どうしたらいいかを考えて、

【三島由紀夫】『自分は非常に優れた特別な人間である』自認を根底に持ち、美学の追求を惜しまない。自己肯定感が異様に高く、謎の持論を持っている。故に周りが劣って見えたり、時には馬鹿にしてしまうことも。何かに傾倒すると、とことんのめり込む。人からは、知的に見られる場合が多い

 

 不運な運命のせいで絶望に落ちてしまう

美しさが執着

怖くて

人間らしさは、子ども時代に母親と情緒的交流をして、安心と安全感を獲得していきます。安心・安全感で人間らしい高次の神経が育つ。弱肉強食の世界で生きていたら人間らしい感覚が育たない。安心・安全感がないと自分が自分を保てず、人に自分をよく見せていないと生き残れない。

好きな人が別なほうに向くことが耐えられない。美しく自分を保ち、非の打ち所がない人間じゃない安心して生きれない。恋人の存在が大きくて、相手のことばかり、自分の不安・恐怖が強くて、人に安心感を求める。

 

本当は辛くて元気がなく、時によっては、歩く屍のような状態になります。

ちょっとしたことで、息ができない、胸が苦しい、落ち着かない、動けないなどなります。

一人でいることが寂しくて、それに耐えられなくて、 

 

自分を元気にする方法が、人にチヤホヤされて、注目されること、外見を褒められたい。

自分の外見にこだわる」

 

周りより自分が勝つことで、自分を見出す。

人の目が気になり、人の評価を気にします。

身体のパーツが気になってしょうがない、細かいところまで気になります。

 

人前に出ると、自分を麻痺させて、自分の感覚が分からない。違う自分を演じてきて、外側ばかりに意識が向くようになって、自分に自信がなく、無力になる。他人にどう思われるかが重要で、良く思われようとしている。

 

人に見られていることが苦手で、人に自分がどう思われているのか、良く思われているのか、悪く思われているのか、

 

自分がどう思われているか気にして、よく思われるように振る舞い、良く思われるという誇大妄想に耽ります。

 

小さい頃は、人に見られることが苦手で、人の視線を怖いと思っていた。怖いと思うと体が固まるとか、動悸が激しくなるとか、手汗がひどくなるとか、顔が赤くなる。人の視線とか、自分の容姿に対して過敏になっていく。人を怖いと思うと、原始的な神経の働きが活発になり、生理的な反応が混乱するから、その防衛のために、人からよく思われようと外見を磨いていく。

 

自己愛の病理の中核は、神経過敏な人ほどそれを患いやすく、不快を感じると、体の反応が大きくなるため、不快なものに恐怖する。その防衛のために、不快なことを避けて、快や安心を求めるようになる。例えば、もっと他人に良く思われようと努力することとか、全員に好かれていることで安心する。

 

体に常に凍りついて生きている人は、ギリギリのところにいるから、自分の欲望より、他者の欲望で生きるようになる。 自分が綺麗でいれば、他者、世の中の男性の欲望を満たすことができるので、自分を守ることができる。その根底にある心理は、実は女性は男性を恐れて、その恐怖によって自分の身体を石ころに変えられてしまうことを避けようとしている。女性たちは外見を磨いて、自分を綺麗に見せて、相手によく思われることで、仮面を被り、自分の状態を維持する。彼女たちは身体を美しく維持することにあまりにも重点を置くために、中身は空っぽです。

 

他者の欲望のなかで生きており

大事な人がいないと、何も感じなくなり、自分が無くなる。大事な人がいると、自分の存在が発生して、自由に生きれるようになり、目標が戻ってきます。