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人格構造の分裂


 第1節.

意識の二重性


意識とは自己意識であるとすれば、意識される自己とその意識される自己を意識する自己と二面性を持っています。心のなかにたった一人の自己がいるわけではなく、相反するいくつもの自己がいて、自分の幸せや快適に過ごすために、せめぎ合っています。目先の欲求に従おうとする自己や将来の目標を設定している自己がいて、日常生活で深く関わっている関係性の数だけ自己がいます。言ってみれば、人間は多重自己状態であり、健康な人の場合は、それぞれの自己状態間の相互連結が容易に出来るのに対し、生き残りをかけた限界状況にある人の場合は、ストレスにより疲労が蓄積されて動けなくなる部分と、生き残りをかけて警戒している部分に分裂した自己状態になることがあります。度々見られるのは、痛ましい出来事を体験した人に生じる離人感で、体から自分が切り離されたような感覚が持続的または反復的に起こります。虐待を受けている子の場合は、親との関係で生じた辛い体験のときに、この現実から離れて、もう一人の私に任せてしまうかもしれません。また、人は生きるか死ぬかの極限の状況下になると、知覚の断片化が起こり、上空や様々な角度から自分を眺めている自分がいて、体は生き残ろうと必死にもがいているかもしれません。さらに、対人恐怖から体が凍りつくような人は、相手とのコミュニケーションに合わせていく部分と、もう嫌だと反発している部分に分かれたりします。

 

痛ましい外傷体験に曝されている人は、恐怖と激しい怒りという自己保存エネルギーに支配されて、心と体が別々に動きます。本能的な部分は、四肢を使って生き残りを図ります。日常を過ごす部分は、恐怖に怯えて動けなくなり、背後に退いて、後から横から自分のことを眺めているかもしれません。複雑なトラウマを負い、PTSDや解離症状がある人は、ビクッとさせる刺激や好奇心のあるものに対して、過覚醒になりやすく、気分が乗っているときは、テンションが高くなり、なんでもできそうな気分になります。他方で、想定外のことを起こさないようにするため、危険があるかどうかに注意が向き、過剰に警戒しています。体がしんどくなる場面では、意識レベルが低下して、ぼーっとしていきますが、思考力や判断力も下がり、動かなくなって、鬱状態になることがあります。PTSDや解離症状がある人は、外界のストレスの状況により、原始的な神経の働きが活発になるため、意識の覚醒レベルが上下して、自己の一貫性が無くなり、心と体の状態が変わります。また、解離状態にある人は、心と体がバラバラで、切り離されているので、自分がしたくないことまでしてしまっています。心は夢の世界に行って気づかなくなりますが、体は現実世界にいるため、体が優しくしてくれた人を傷つけたり、嫌な奴から逃げたいと思っていても、体の方が勝手に動いて、何でも従ってしまうことが起きたりします。

 

トラウマを負って、生活空間の全体がストレス過多になり限界を超えているような人は、何かの行為をしている部分と、別の思考が自動的に思い浮かんできて頭の中で話している部分と、その行為と思考をコントロールしようとあれこれと考えている部分とに分かれることがあります。また、ある刺激に対して体が敏感に動物的に反応してしまう部分と、これはまずいと理性で判断し、その体の反応を抑制しようとする部分に分かれることがあります。さらに、慢性化したトラウマの影響は、極端に分裂した自己意識と自己矛盾と体の違和感を生むので、それに耐えられなくなったり、自分でどうしていいか分からなくなったり、頭が真っ白になったりして、凍りつきや過剰な覚醒などの狂気を孕みます。

 第2節.

自己の二重性


子どもは、発達早期の親子関係で形成された自己イメージを保つために、自分の都合のいい情報を取り入れて、外側の世界に対する認知を歪めていくものです。特に悪い親(悪い対象)に育てられた子どもは、理想化された良い親(良い対象)と良い自己イメージを保とうとして、外側の世界(悪い対象)を歪めて知覚するので、精神病理を形成していく要因になります。子どもの頃は、親に依存して生きていくしか選択肢がありませんし、子どもにとって親はたったひとりの存在で、とても力強いものです。そして、親は魅力的で誘惑的で、恐ろしくもある存在として映ります。不幸にも悪い親のもとに育った子どもは、自分を良く見せようと頑張りますが、いずれはこのどうしようもない親を持った自分の不幸を呪います。そして、まともな生活がしたくてもできない悲しみや怒りに暮れます。絶望の中では、親よりも、別の対象へ理想化していくとか、嗜癖化していくようになります。一方で、親との愛着システムが作動するとたったひとりの親を憎みたくない、愛されたい、愛したいという気持ちになります。

 

子どもの頃から過酷な環境にいて、トラウマという大きな雷に打たれると、かよわく甘えるだけの自分は、外の世界の人々と繋がりを失って、生き残れなくなります。しかし、それでも人は生きていかなければならず、生命は今までとは違う強さの方向に伸びていこうとします。一方は、内向で受動的で子どものままのために、あまり成長できずにいますが、もう一方は、能動的で至高の場所や目標に向かって生きていくことがあります。成長できなかった子どもの部分は、宇宙に放り出されて、小さく丸まっているかもしれません。また、子どもの頃から見捨てられ、傷ついてきた子どもは、もう一人の自分に生活全般の困難を任せてしまい、自分は小さくなり、体の中でじっとしていることがあります。生活全般の困難を背負い、成長していく部分は、今までとは全く違う人物になり、感情があまりなく、表面を取り繕って笑っているかもしれません。また、自分の生きる意味や自分が自分であることが分からず、考え続けていく過程で、この世界を無意味なものとして捉えて、批判者として生きていくか、争いごとを避けて平和を願うような人生になるかもしれません。このようにして、もともと一体化していたものが二つに分かれて、亢進した子どもの部分と退行した子どもの部分に分裂していくことがあります。

 

一般的に、成熟していく子どもの部分に対して、退行した子どもの部分が足を引っ張るようになります。成熟していく子どもの部分が恥ずかしくて出来ないようなことを、退行した子どもの部分が後先考えずに行動し、遊びに夢中になります。また、年齢を重ねることにより、生活全般の大部分を大人の部分が担うようになりますが、夜中に部屋で一人きりになると、ときどき子どもの部分が出てくるため、その間の記憶が残りません。トラウマを負った子どもでも、学問やスポーツに好奇心を見出し、社会の中でエンパワーメントを獲得できれば、子どもの頃の外傷体験はトラウマ後の成長に繋がります。他方、勉強が苦手で、家庭や学校の中で不適応になれば、子どもは反抗的な態度を取り、問題を起こして注目を集めます。また、人によっては、おどけて悪ふざけをしたり、ストレスの処理が下手なので発狂寸前のヒステリー状態でいたり、意志のない人形のように生きたりします。そして、大人になると、自己愛的、反社会的、ヒステリー的、依存的、回避的なパーソナリティを持つようになります。

 

乳児期から児童期にかけて、 虐待等を受けた子どもは、情動脳(脳幹や大脳辺縁系)がネガティブな体験を記憶していくので、児童期以降に発達する理性脳との間でバランスを崩します。そして、トラウマを負った子どもは、自己調整機能や覚醒度のコントロール異常が起きますが、理性的な部分は、環境に適応していくため、自分の感情や生理的反応を抑制しようとする方向に条件づけられていきます。一方、情動的な部分は、興奮していて、自分を守るために自己中心的で傲慢に振る舞います。人によって覚醒度の振れ幅は違っていますが、相手や場面によって極端な動きを見せる人がいます。例えば、自己愛過敏型(解離傾向)の人は、抑制的で大人しい部分が日常の大部分を担っていますが、内側に傲慢に振る舞う誇大な部分が取り憑いているように見えます。厳格な大人に対しては、抑制的で大人しい部分が対応しますが、自分より下の相手には、傲慢に振る舞う誇大な部分が表層の世界に現れます。また、大人が厳しい対応すると、傲慢に振る舞う誇大な部分から、顔が突然怯えた表情になり、抑制的で大人しい子どもに戻ることもあれば、闘争スイッチが入り、相手を叩きのめそうとして激しく罵倒することがあります。

 第3節.

自己の三重性


サディスティックな虐待やいじめを受けている子どもは、強いストレスや疲労、どこまでも追いかけてくる恐怖に曝され、お腹に力が入り、肩が内に入り、呼吸が止まり、体が固まり、パニックになると頭が真っ白になります。体がしんだふりや虚脱状態に陥り、背側迷走神経が主導権を握ると、日常生活を大部分を担っていた基本人格の機能は停止して、体の内部に閉じ込められます。基本人格は生活全般の困難に対して、それでも大人の過酷な要求に応えていくしかないので、他の人格を作りながら生きていくようになります。別の人格部分達は、身代わりになり、犠牲者の人格になっていきますが、サディスティックな暴力を受ける部分は二重に分裂していきます。一方は、虐待者を憎しみ、暴力で応戦しようとして、やり場のない怒りを爆発させる攻撃的な部分です。この部分はストレスホルモンが高く、過剰な覚醒状態にあり、とても危険なやり方をするので、更なる拒絶や虐待を呼び込みやすく、親から愛してもらえなくなります。そして、学校でも身勝手で相手の気持ちを考えずに、人を傷つけたり、する関係を壊したりするので、人間関係がめちゃくちゃになり、あいつは頭がおかしいと嫌われてしまうことがあります。彼らは、取返しのつかないことをしてしまうため、できれば表に出てきてほしくないと思われている部分です。

 

もう一方は、サディスティックな虐待を受けて、殺されないためにも、自分の身を守ろうとして、相手に好意を持ち、愛想で乗り切ろうとします。そして、笑顔で天使のように振る舞い、その場の空気を適切に読んで、服従することでやり過ごそうとします。この部分は、ストレスホルモンが低い状態にあり、辛いことや憎しみなど忘れてしまっていて、何も感じたりしないように自分自身をカモフラージュしています。さらには、自分を守るために、危機から逃れようとして、無情な養育者に過剰奉仕をして、愛してもらおうと努力しています。しかし、相手の要求に応えて、言われるがままになっていると、相手の要求がエスカレートしていくので、相手に合わせることが無理になり、気が動転して、平静さを失い、滑稽なピエロになるか、パニックになるか、怒りを爆発させるかもしれません。

 

サディスティックな親からのお仕置きや懲罰を受けた子どもは、降りかかるしんどさから機能を一部停止させた後、このように意識を変性意識状態に置いて、いくつかの交代人格に切り分けていくことで、苦難を乗り越えようとします。そして、神経が張りつめて、体が凍りついた状態が続くと、あらゆる刺激が刃物のように突き刺さるため、どこかでエネルギーが切れてしまい、基本人格は眠りについて、代わりの部分が役割を担うことになります。また、日常に適応した人格部分が基本人格を乗っ取って、あたかも正常かのように自分を見せていくようになり、生活をしていきます。基本人格は眠りの時間が長いほど、成長できずに子どものままでいるので、生活全般をこなすスキルが圧倒的に足りなくて、いつまでも体の中でじっとしていることがあります。

 第4節.

自己の多重性


基本人格が無力化されて眠りついてしまった場合は、退行して子どものまま取り残された部分と、あたかも正常かのように日常生活をこなそうとする部分に分裂します。そして、退行した子どもと成熟している子どもに分かれていき、その間の移行的人物像として保護者人格(守護人格)が関与してくることがあります。保護者人格は、日常を過ごす主人格の隣にいて、困ったときに助けてくれます。また、あたかも正常かのように日常生活をこなしている部分に対して、加害者に反撃しようとする部分や犠牲になっている部分に分裂がある場合は、その間の移行的人物像として管理者人格が関与してくることがあります。管理者人格は、それぞれの人格の記憶や全体のシステムを把握しており、交感神経システムや過剰に覚醒するシステムに乗っ取られて、反撃しようとしたり、やり場のない怒りを爆発させてしまう人格を抑えようとします。そして、緊急事態に陥らないようにするため、外の世界を用心深く観察しており、内部では、日常を過ごす人格が行方をくらまさないように声をかけたり、ある交代人格にスポットライトを当てて、人格交代の出入りを助けたりしています。複合的なトラウマを負っている人は、外からの刺激により、凍りついたり、感情を爆発させたりするので、なるべく日常生活を安定させるために、内部世界を知覚・認識して制御し、複雑に組織化された構造を造りあげます。その結果、身体の中に複数の自己が存在するようになります。

 

トラウマケア専門こころのえ相談室

更新:2020-06-20

論考 井上陽平

 

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