自己の二重性

▶意識の二重性

 

意識とは自己意識であるとすれば、意識される自己とその意識される自己を意識する自己と二面性をもっています。いわば人間は多重自己状態であり、健康な人の場合は、それぞれの自己状態間の相互連結が容易に出来るのに対し、ストレスの限界状況を超えた人の場合は、自己意識は分裂した状態になります。度々見られるのは、痛ましい出来事を体験した人に生じる離人感で、身体や精神が自分が切り離されたような感覚が持続的または反復的に起こります。

 

痛ましい外傷体験に曝されている人は、恐怖と激しい怒りという自己保存エネルギーに支配されるので、四肢を使って生き残ろうとする本能的な部分と、背後に退き、後から横から自分のことを眺めている部分に分かれることがあります。また、トラウマを負い、生活空間の全体がストレス過多になって限界を超えているような人は、何かの行為をしている部分と、別の思考が自動的に思い浮かんできて頭の中で話している部分と、その行為と思考をコントロールしようとあれこれと考えている部分とに分かれたりすることがあります。さらに、ある刺激に対して身体が敏感に動物的に反応してしまう部分と、これはまずいと理性で判断し、その身体の反応を抑制しようとする部分に分かれたりします。そして、慢性化したトラウマの影響は、極端に分裂した自己意識と自己矛盾と身体の違和感を生み、それに耐えられなくなったり、自分でどうしていいか分からなくなったり、頭が真っ白になったりして、凍りつきとか錯乱状態等の狂気を孕みます。

 

▶自己の二重性

 

子どもは、発達早期の親子関係で形成された自己イメージを保つために、自分の都合がいい情報を取り入れ、外側の世界に対する認知を歪めていくものです。特に悪い親(悪い対象)に育てられた子どもは、理想化された良い親(良い対象)と良い自己イメージを保とうとして、外側の世界(悪い対象)を歪めて知覚するので、精神病理を形成していく要因になります。子どもの頃は、親に依存して生きていくしか選択肢がありませんし、子どもにとって親はたったひとりの存在で、とても力強いものです。そして、親は魅力的で誘惑的で、恐ろしくもある存在です。不幸にも悪い親のもとに育った子どもは、この変えようのない親を持った不幸を呪います。そして、まともな生活がしたくてもできない悲しみや怒りに暮れます。一方で、親との愛着システムが作動するとたったひとりの親を憎みたくない、愛されたい、愛したいという気持ちを抱えています。

 

子どもの頃から過酷な環境にいて、トラウマという大きな雷に打たれると、かよわく甘えるだけの自分は、外の世界と繋がりを失って、生き残れなくなります。しかし、人は生きていかないといけないので、生命は今までとは違う方向に延びていこうとします。一方は、内向で受動的で子どものままであまり成長できずにいますが、もう一方は、能動的で至高の場所や目標に向かって生きていくことがあります。また、子どもの頃から見捨てられ、抑圧されてきた子どもは、もう一人の自分に生活全般の困難を任せてしまい、自分は夢のなかで眠りに就くことがあります。こうして、二重の自己を作りあげられ、亢進した子どもの部分と退行した子どもの部分に分裂していくことがあります。トラウマを負った子どもが知的に高くて、しかも環境が良ければ、子どもの頃の外傷体験はトラウマ後の成長に繋がります。他方、知的に低くて、環境が悪ければ、子どもは反抗的な態度や問題を起こして注目を集めたり、おどけて悪ふざけをしたり、ストレスの処理が下手なので発狂寸前のヒステリー状態でいたり、意志のない人形のように生きていたりします。

 

乳児期から児童期にかけて、 虐待等を受けた子どもは、情動脳(脳幹や大脳辺縁系)がネガティブな体験を記憶していくので、児童期以降に発達する理性脳との間でバランスを崩します。そして、トラウマを負った子どもは、自己調整機能や覚醒度のコントロール異常が起きますが、理性的な部分は、環境に適応として、自分の感情や生理的反応を抑制しようとする方向に条件づけられていきます。一方、情動的な部分は、興奮しがちで、自己中心的で傲慢に振る舞いがちです。人によって覚醒度の振れ幅は違っていて、相手や場面によって極端な動きを見せることがあります。例えば、自己愛過敏型(解離傾向)の人は、抑制的で大人しい部分が日常の大部分を担っていますが、内側に傲慢に振る舞う誇大な部分が取り憑いているように見えます。厳格な大人に対しては、抑制的で大人しい部分が対応しますが、自分より下の相手には、傲慢に振る舞う誇大な部分が表層の世界に現れます。また、大人が厳しい対応すると、傲慢に振る舞う誇大な部分から、顔が突然怯えた表情になり、抑制的で大人しい子どもに戻ることもあれば、闘争スイッチが入り、相手を叩きのめそうとして激しく罵倒することもあります。

 

▶自己の三重性

 

サディスティックな虐待を受けている子どもは、強いストレスから固まったり、頭が真っ白になったりして、背側迷走神経が主導権を握り、日常生活を大部分を担っていた基本人格の力は弱くなっていきます。基本人格は生活全般の困難を切り離すようになると、別の自分の部分が身代わりになりますが、サディスティックな暴力を受ける部分は二重に分裂していきます。一方は、虐待等に対して、暴力で応戦しようとしたり、やり場のない怒りを爆発させる攻撃的な部分です。この部分はストレスホルモンが高く、過剰な覚醒状態にあり、とても危険なやり方をするので、更なる拒絶や虐待を呼び込みやすく、親に愛してもらえなくなります。そのため、できれば表に出てきてほしくないと思われている部分です。もう一方は、サディスティックな虐待を受ける前に、天使のように振る舞い、その場に服従してやり過ごそうとする部分です。この部分はストレスホルモンが低い状態にあり、何も感じたりしないよう自分自身をカモフラージュすることで、自分の安全を守り、さらには、親に過剰奉仕をして愛してもらおうと努力します。過酷な状況下に置かれた子どもは、このように意識を変性意識状態に置き、いくつかの交代人格が対応していくことで、苦難を乗り越えようとします。そして、病理が重篤になるほど、基本人格は存在しなくなり、代わりの部分が役割を担い、不安定な状態に陥ります。

 

▶自己の多重性

 

基本人格が無力化されて眠りついてしまった場合、退行した子どものまま取り残された部分と、あたかも正常かのように日常生活をこなそうとする部分に分裂します。そして、退行した子どもと成熟している子どもに分かれていき、その間の移行的人物像として保護者人格(守護人格)が関与してくることがあります。また、あたかも正常かのように日常生活をこなしている部分とやり場のない怒りを爆発させる部分に分裂がある場合、その間の移行的人物像として管理者人格が関与してくることがあります。管理者人格は、交感神経に乗っ取られて、やり場のない怒りを爆発させてしまう前に、外の世界を用心深く観察し、攻撃的な人格を抑えたり、人格たちを管理しています。複合的なトラウマを負っている人は、外からの刺激により、凍りついたり、感情を爆発させたりするので、なるべく日常生活を安定させるために、内部世界を知覚・認識して制御し、複雑に組織化された自己を造りあげます。その結果、身体の中に複数の自己が存在するようになります。

 

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