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自己愛性人格障害の顔つき


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 第1節.

自己愛性パーソナリティ障害の顔の特徴


自己愛性パーソナリティ障害(自己愛性人格障害)を患う人は、幼少時からの性格や行動特性だけでなく、顔つきなどの外見にも共通性があり、特に目に特徴があり、従って、この障害を見分けるためには、目を見るとよいと言われています。病的な自己愛者は、獲物を探しているかのように目をギョロギョロさせており、周りに脅威を放ちながら、男なら爬虫類、女なら般若のような顔をしていると言われています。

 

彼らの脳は防衛的な働きをしているため、周りの気配を鋭く察知して、敵か味方か、好奇心を持てるかどうか、嫌悪するものかどうかを常に見定めており、情報を集めながら、どう行動するべきかを考え、獲物か敵を見つけると凝視(目が動かない)します。そして、脅威に曝されて、身動きが取れなくなる状況を恐れており、危険を察知すると、いつの間にか肩は上がり、首がガチガチで、奥歯を噛み締め、身体に力が入ります。

 

彼らは、自分では意図しない場面であっても、身体の中に閉じ込めてあるトラウマが疼くために、焦りや苛立ちが出てきますが、不利な立場に追い込まされて、委縮させられそうになると、相手を罵るか、怒りになるか、投げやりな態度をとるか、無力に落ちるかなどの特徴が現れます。そのため、できるだけ自分を脅かさないためにも、相手には穏やかでいてほしく、笑顔になってほしいとか、褒めてもらいたいと思います。そして、自分の価値観に沿ってくれることを望み、家の中では、自分独自のマイルールに従ってほしいと願っています。また、人から褒められることがあると、気分が乗っていき、調子に乗るようになって、なんでもできそうな気分になります。

 

一般的に、人の顔や姿勢を見ればその方の性格や生活背景をなんとなく想像できるものです。また、自己愛パーソナリティ障害からくるキャラクターや行動傾向が顔つきにあらわれているのかもしれません。特に、対人コミュニケーションにおいての視線や表情、姿勢、発声、呼吸数、心拍数、感情のコントロール、覚醒度(過覚醒-低覚醒)等の情報処理の仕方は、その方の性格傾向を見ていくうえで重要な項目になります。しかし、障害を抱えていなくても、それに近い顔つきの方もおられるので、顔つきで判断してしまうと人権侵害に繋がるので注意が必要です。

 第2節.

自己愛が爬虫類のような顔つきになる原因


自己愛性パーソナリティ障害はどのようにして爬虫類のような顔つきになるのか、その原因を記述していきます。自己愛パーソナリティ障害になる原因としては、発達の早期段階から小児期の頃に、外傷体験(トラウマ)を被った経験がほとんどと言われています。

トラウマの影響により、得たいの知れない不可解な力が働く


人間は、胎児期から乳児期、幼児期、さらに児童期に入る頃までに、生存本能を司る脳幹(爬虫類脳)や大脳辺縁系(旧ほ乳類)が成長していきます。しかし、その時期に虐待、DV、ネグレクト、母性剥奪、事故、事件、自然災害、手術の医療トラウマ、出生時の医療処置の影響、アトピーや喘息、高熱など身体の弱さ、母胎内のトラウマなどを受けると、恐怖や戦慄の衝撃が、情動脳(脳幹、大脳辺縁系)を激しくして、通常とは違う形で防衛パターンが変質し、脳や身体の神経発達が阻害されます。

 

身体内部にトラウマを抱えると、同じ姿勢でじっとしないといけない時とか、拘束されるような場面とか、寝ているような状況でも、ソワソワ、モヤモヤ、ザワザワ、体の揺れなど、得たいの知れない不可解な力(過剰警戒、過覚醒、凍りつき、崩れ落ち、解離させてバラバラにする力、内部で進行している破壊活動)が働くようになります。そして、一瞬それが取り憑くと、交感神経が過剰に働き、身体に違和感や焦燥感が現れて、胸が搔き乱されていくため、その場にじっとしていられなくなり、脅威を取り除こうとか、問題解決を図ろうとして、動きたくなります。

 

一方、学校の授業中や厳しい親の元にいて、身動きが取れない状況では、その場にじっとしているしかできないので、居ても立っても居られなくなりますが、その動きが封じられてしまうと、しんどくなるとか、考えがまとまらないとか、固まり閉ざされていくような恐怖を感じる人もいます。そして、トラウマが根深くある場合は、喉がつまり、息苦しくなり、身体が震えたり、血の気が引いたり、動けなくなったり、心臓が痛んだりなど、心身が脅かされます。このような破綻(私が私で無くなって絶滅する恐怖、消えてなくなる恐怖、足元から崩れ落ちる恐怖)への恐怖を、人はできるだけ避けようとして、自分に有利なポジションを得るために、優位に立ちたいとか、支配したいとか、目的を達成させるなら、なんでもしようとする病理的な部分が強くなります。そして、理想化された対象との同一化を望み、自分が優位に立つためなら、巧妙な嘘をついたり、周りを操作したり、利己的な行動をとったりして、非常に陰湿で、周りに破壊的な作用をもたらします。

身体の中の細胞レベルで強さを見せつけようとする


発達早期のトラウマを負った人は、戦慄の衝撃を受けた後の苦痛から、身体感覚が麻痺状態に陥り、私は人間であるという体験が欠如させられます。自己感覚が麻痺していくと、自分で自分を満たすことができなくなって、対象を求める質が病的になります。また、私が私でいられる力が弱まると、自他の区別がつきにくく、相手の感情や周囲の気配に良くも悪くも影響を受けやすくなります。

 

そのため、自己愛の病理が強く出ている方は、私が私で無くなる破局的な不安の防衛として、対人場面で自分の存在を誇張するようになり、周囲に溶け込み、巧みに操作して、他者に認められようと努力し、不当に相手を利用します。また、彼らは、日常生活において、あたかも正常であるかのように表面上を取り繕いますが、軽いストレス刺激にさえ、脳の扁桃体という部分は、迫りくる緊急事態として察知します。そして、差し迫った危機に対して、動物的な勘を働かせて、敏感に察知し、警戒レベルが上がると、ストレスホルモンが副腎から多量に分泌され、体中の細胞は「力を見せつけてやれと…」指令を受けます。

 

ストレスホルモンが常に高い状態にあると、体に力が入って、自分をどうにかして守ろうとするため、目や顔、首、肩、腕、足は特定の方向に向いて、闘争・逃走反応に移る準備をします。脳のサバイバルな領域が発達し、気配や物音、視線、臭い等に過敏傾向が高まり、目の前にあるものが敵か味方か、好きか嫌いかを頭の中で評価して、行動に移すかどうかを考えます。そして、自分の気分を高めるために、興味のある刺激には接近しますが、嫌悪する刺激に対しては回避するか、戦うかします。また、できる限り、不快なものや予想外のことを無くしたいので、周りに良く思われようと努力し、自分の思い通りにできる空間を作ります。

闘争本能や警戒心が強く、顔つきまで爬虫類に


自己愛の病理を持つ人は、トラウマや神経発達の問題から、通常の人と比べて、差し迫ってくる危険に対する防衛が過剰に働いており、注意の向け方が独特で、強い情動反応による過覚醒や低覚醒の間を行き来しています。感覚過負荷や意識狭窄、視野狭窄、注意欠陥、集中困難、過集中などの状態が原因となって、自分の状態に気づくことや同時に複数の視点から考えることが難しい状態にあります。

 

彼らは、自分を脅かしてくる対象に対して、筋肉が硬直し、頭に血がのぼり、腹が立って、短気になり、自制が効きにくくなります。そして、意識が外に向いて、注意深くなり、視覚や聴覚、嗅覚などの知覚過敏から、疲れやすくなります。脅威を察知して、闘争・逃走モードのスイッチが切り替わるたびに、前頭葉が十分に機能しなくなり、自分や他者の精神状態を十分に読み取って、受け取ることが難しくなります。また、敵を目の前にすると、闘争や逃走モードのスイッチが入りやすく、一方で、興味がある刺激に対しては、気分が乗っていき、なんでもできそうな気になって、能力の限界の認識を欠き、テンションが高くなります。

 

また、自己愛の強い親のもとで育った子どもは、親の価値観(プライドを持て、強く生きろ、一番になれ)を刷り込まれていくので、自己中心性は高まり、行動が極端になります。このような状態が続いていくと、自分の思い込みが強くなって、性格が歪み、行動傾向も変化していき、理性的な判断を求めても難しくなって、その後の人生に暗い影を残します。

 

ここまでをまとめると、病的な自己愛の方は、両生類や爬虫類といった進化上の祖先たちには有効であった太古的防衛操作の中に全身すっかり汚染されて、他者の気持ちを読み取ることが難しく、無意識のうちに、警戒していて、緊張が強く、顔つきまで爬虫類のようになっていくのかもしれません。

神経の働きから目つきは変わる、早い段階から脅かされると


赤ん坊は、波長を合わせてくれる大人が側にいると、安心して過ごせるようになり、身体が落ち着いていくため、愛着システムや社会交流システムが作動して、話し方が穏やかになり、柔らかい表情や目つきになります。その一方で、早い段階から脅かされる状況が繰り返されると、交感神経系に乗っ取られて、興奮状態から過覚醒システムが駆動すると顔つきは一変して、獲物を狙うような目つきになります。

 

子どもの頃から、複雑なトラウマ体験に曝された子は、神経組織は捕食する側(闘争して勝利を得る側)と捕食される側(生き延びるために逃走か凍りつきか)ともに双方が有利になるよう形成されていきます。つまり、発達早期に異常な環境にいて、脅威に反応しなければならない場合は、脳や身体の神経システムはその過酷な環境の中で生き抜ける最適な形に作り変えられます。

 

生存率を高めるために、捕食する側にいる人は、自己愛性パーソナリティ障害になります。彼らは、損得勘定が最優先される市場主義社会において、劣等感をバネに、優位に立とうと頑張り、支配していこうとするため、社会的の中で成功する確率が高まります。一方で、捕食される側は、虐待やいじめ被害者に多い解離性障害やうつ病、回避性パーソナリティ障害、発達障害の方々になります。自己愛過敏型の方は、解離傾向があるので、捕食されやすく、捕食する側にもいるかもしれません。

自己愛性パーソナリティ障害の情動と理性の動き


複合的なトラウマを負うことによって、人間の最も洗練された理性脳を働かすよりも、危険や興味があることに反応し、過剰に警戒する情動脳や、爬虫類脳が支配していくので、目の前にある快に飛びつき、不快なものは避けるようになります。不快なものや不快な状況は、苦手な人だけはなく、不利な場面や菌、ウィルス、ほこり、尖ったもの、狭い空間、閉じ込められそうな場所、汚れた空気、音、匂い、光など様々なものがあるかもしれません。

 

頭の中では、敵か味方かをアセスメントして、得をしたいとか、安全でいたいとか、楽をしたいとか、本能の赴くまま行動するかもしれません。そして、何よりも快原則が優先されて、人間関係を損得勘定で考えるようになり、自分の利益になるかどうかで判断し、行動します。自分の利益のためになら、身近な人を道具のように不当に利用しますが、罪悪感や自身の加害性に対して無自覚で、そんな自分は合理的な思考ができていると自己肯定します。

 

脳の方は、危険を察知して、身体は勝手に緊張し、警戒を強めていき、あらゆる情報に注意が向けられます。不快な状況にいて、意識が外の世界ばかりに向くと、身体の感覚は切り離されて、本当の自分は何をしていいか分からず、その場その場で反応していくようになります。過去を見ると空っぽの自分がいて、自己存在感は希薄になり、想像性や身体感覚に乏しく、そのような自己の不全感がバレないようするために、自分を良く見せようとします。

 

一方、他者に拒絶されたり、人前で恥をかいたりした際、過敏に反応して、感情や行動をコントロールが出来なくなることを恐れています。彼らは、他者から否定されることが怖く、闘争モードに火がつかないように、周りに気を使い、周囲を盛り上げようとするところがあります。そして、攻撃的な面を隠そうと仮面を被り、周りに謙虚で誠実かのように示し、社会の規範には忠実に従い、規則正しく、スマートに振る舞うことができます。また、自分の見栄えが過剰に気になり、笑顔の作り方や相槌の仕方など細かいところまでチェックして、素晴らしい自分になることで、他者から大切にされて、自分の心を満たすことができます。

 

自己愛性パーソナリティ障害の人は、一方では、世間の目を気にして、環境に順応し、とても優しく紳士的で、思いやりがあり、自然な流れに従おうとする本来の自分がいます。他方では、世間の目を気にしながら、環境に順応せず、自然な流れを拒んで、自己中心的で浅ましく誇大妄想を持った自己の部分の両極の間を行き来しています。

 第3節.

自己愛性パーソナリティ障害の成長過程


自己愛性パーソナリティ障害(自己愛性人格障害)がどのようにして形成されていくのか、乳児期から児童期にかけての流れを記述していきます。人間は意識と無意識の適度のバランスを保ちながら、日常生活を営んでいます。また、理性脳(最も進化し洗練された部分)と情動脳(最も原始的な部分)の二つのシステムのバランスが良いと私が私であるという感じをしっかり持てて、この世界との接点が現れ、生き生きとした実感に変わり、自分の方向性が見えてきます。

赤ん坊は母親との身体的な関わりを通して成長する


生まれたての赤ん坊は、交感神経系と副交感神経系のなすがままになっており、乳児期は爬虫類脳(脳幹)が取り仕切っていて、身の安全などに努めています。母親の世話(肌を包んで安心させてもらうぬくもり)があると、喜びや安心の感覚が育ち、愛着システムや社会交流システムが活性化して、人間らしく生きるための土台になります。

 

その一方で、赤ん坊の頃から、母親と心響き合う関係性ではなく、脅かされているように感じている場合は、落ち着いて心を休める神経の働きが育ちません。こうした自己の不全感を抱えている子は、絶えず次の変化に緊張し、警戒心が強まり、リラックスするための社会交流システムがうまく働きません。生活全般において不安や緊張が強くなると、集中力が途切れたり、落ち着かなくなったり、近くにいる人にどう思われているのかを細かいところまで気にしたり、ついつい攻撃的になったりして、人間関係に失敗しやすくなります。そして、最悪な方に行かないようにするため、相手のことを探りながら、自分を良く見せる努力をしたり、周りから悪意を向けられないような完璧な姿でいようとします。

自律神経系や生体機能のリズムの調整がうまくいかない子


例えば、養育者が虐待的である場合には、子どもは危険や恐怖に怯えて、この世界に対する不信感が強まり、自己否定、警戒心、焦り、不満、興奮、怒り、拒否、麻痺、孤独、依存心、無力さなど様々な気持ちを同時に持つようになります。子どもは安心させて落ち着かせてくれる母親対象が欠如すると、私は人間であるという体験が希薄になり、こころの育ちが悪くなって、感情や気分に浮き沈みが激しく、自己調整機能に障害が出るようになります。そして、幼少期の頃から、慢性的なトラウマ状態にあると、自律神経系の調整不全や生体機能のリズムに異常が出ます。生きるか死ぬかモードで生活している子どもは、大衆の前で予期せぬ出来事が起きると、防衛的な脳が働き、身体の中の生理状態が変動して、周りの目が気になり、自分が変に思われていないのかを気にしたり、恥をかくことを恐れたりします。

 

病的な自己愛が強い人ほど、恥をかかされたり、批判されたりしたときに、自分は周りに拒絶されたと感じて、怒りに支配されたり、気分が落ち込んだりします。また、不安や緊張がとても強くなる場面において、どうしようと焦って、周りが見えなくなり、自意識が過剰になります。彼らは、不快な状況において、体が過剰に反応してしまうため、自律神経の調整が効かなくなり、声がうわずる、興奮して汗をかく、自己愛憤怒を起こす、手足が震える、考えがまとまらなくなる、苦痛を感じる、体が固まる、パニックになる、赤面するなどして、その体験が感情的なトラウマになります。また、自律神経系や生体機能のリズムの乱れは、肩こりや頭痛、発熱など、体調不良に直結するため、死への恐怖に取り憑かれたり、予測不能な出来事(不快な状況)が起きないように、常に警戒するようになります。さらに、困難な状況が続くと、恐怖や怒り、悲しみなどの感情は自分の行動の邪魔になるため、身体の感覚を切り離していきますが、そのうち、いまここに存在しているという感覚が弱まってしまいます。自分の感覚が弱まるほど、人間らしさを病的に求めたりします。

いつ豹変するか分からない親と子どもの関係


ヒステリックに豹変する養育者のもとで育つ子どもは、本来の感覚や感情を最大限に抑制し、一生懸命に振る舞い、小さい子どもなりに理性脳をフルに使って、養育者のご機嫌を取りながら、行動の順序を考え、先回りをして、正解を探します。それでも養育者の虐待やDVが続くと、いつくるか分からない暴言・暴力に対して、どうしたらいいかを考えて行動するしかありません。

 

子どもは愛着を持ちつつも、自分を悪い子だと責めたり、他者の顔色や気持ちに過敏に反応するようになり、身体が落ち着かなくなります。脳の扁桃体は、親の表情の変化に対して、危険であると素早く察知するようになり、ストレスホルモンの高まりと交感神経系の働きが優位に発達します。そして、ほんの些細な刺激にも強いストレスになって、身体が闘争・逃走・凍りつきモードに染まっていきます。そんな日が続くと、自律神経系や免疫システムが壊れていき、体調不良(呼吸が浅く早く、動悸の激しさ、感情のコントロールの難しさ、倦怠感、胸の苦しさ、首や肩の凝り、腹痛、便秘など)が出ます。

万能的自己像を保つために自己の不全感を克服しようとする


子どもは、自分を脅かしてくるものからの対処法を探り、コミュニケーション能力を鍛えたり、リーダーシップを取ることで自分の思い通りにしようとしたり、自分に厳しく他者に厳しくすることで完璧な状態を作ろうとしたり、不要な感覚や感情を切り離していったり、自分は価値があるという空想の世界に退却したりして、万能的自己像を保つことで、自己の不全感を克服します。別の言い方では、トラウマにまみれた身体の不快感を切り離して、頭の中では自分がどう思われているか気にするようになり、他者に良く思われるように振る舞い、目的を達成するために一生懸命頑張り、自分を特別扱いしてほしいとか、周りの人に良く思われているという誇大妄想に耽ります。

 

その一方、現実は、酷い親へのやり切れない思いとか、理解してくれずどうしようもない親への怒りとか、親の身勝手な行動に振り回されてしんどくなります。さらに、親が一貫して愛情を与えず、傷つけてくる場合には、親からの愛情を諦めて、一人で生きていくために強くなろうとします。また、親に依存させてもらえず、絶望の気分のなかにいる場合には、自分の内的世界に引きこもり、誇大化させた自己イメージを使って支えます。そして、社会的地位やお金、外見、頭の良さなど、もっと素晴らしい完璧な姿を目指して、完全性、美的性などの追及や理想化が病的にまで進むと、対象を求める質も異質になります。

 第4節.

自己愛性パーソナリティ障害の小児期


厳しい家庭環境にいる子どもは、幼稚園や保育園、小学校に通い始めると、幾分か自由になりますが、より複雑な集団場面での適応を求められます。養育者のネグレクトや不在、虐待を受けた子どもは、家では大人しく良い子でいますが、学校社会では交感神経系のなすがままになっていて、過剰な思考や行動で、いろんなことをやってしまうタイプになるか、人の反応が怖いために、大人しく、なるべく目立たないようにしているタイプに分かれます。

 

自己愛が強い子どもは、自分を脅かしてくるものを避けたり、排除したりして、また身体内部の不快な感覚や感情を感じないようにします。自己中心的に不快感を避けて、快感や安全感、優越感を求めていくために、抑圧されていたものが溢れ出すかのように感情的になったり、警戒心から正義を振りかざしたり、臆病さから仲間を裏切ったり、行動が活発で荒くれ者のレッテルを貼られたりすることがあります。また、周りの子どもよりも動物的で反射的な行動を取りやすく、注意散漫になったり、過集中になったり、不作法に振る舞ったりするなど、学校集団で浮いた存在になり、不適応になることがあります。

大人に理解されずに反発する力が育つ


このようにトラウマがあり、自己調整が難しい子どもには、好き嫌いが激しく、学校という社会の枠の中に収められたり、価値観をがっちり固めるような教育の場では耐えられないことが多く出てきます。そして、勉強や運動が出来て、一生懸命頑張り、先生から理解されている場合は問題ありませんが、先生に理解されることなく、うまく立ち回ることができない子は、自分だけが理不尽に怒られ、集団のなかでは吊し上げにあって、公開処刑に遭い、恥や敗北、屈辱感に打ちのめされて再トラウマ化します。

 

大人やクラスメイトから理不尽な目に遭わされて、トラウマが複雑化していくと、体の方が限界になり、皆と同じ動作をさせられるとか、規則やルールに縛られて、じっとしていることが苦手になります。自分の意志に反して、じっとさせられて、無意味な行動を強いられることが、過去の身動きが取れなかったトラウマ体験と重なります。心の内側では、逆恨みや被害者意識が強くなり、怒りが大きくなって、自分は正しく、相手が間違っていると認識していくようになります。また、どのように抵抗するべきかを考えて、何かあったら威嚇したり、逃げ道を探したり、反抗する術を身につけようとします。大人に成長した後も、些細なことで脅かされた被害者になり、冷静に判断できなくて、自分ではネガティブな感情を立て直せないので、相手を罰することで感情を回復させます。

トラウマの影響に曝された子が学校でどう生き残るか


様々なトラウマを負っている子どもでも、腹側迷走神経が優位なときは、優しく思いやりがあり、落ち着いていられます。しかし、交感神経が優位になり、過覚醒から過活動や思考過多になると、全身に力が入り、身体を動かしたくなって、興味・関心があることに対しては、とことんまで打ち込みます。

 

興味・関心事に打ち込んでいるときは、好奇心旺盛で活動的になっていて、周りの子どもを押しのけて、自分のしたいことをしています。そして、調子に乗って、思いもしないことをしてしまったり、仲間を募っていたずらをしたりします。一方で、些細なことで脅かされていると感じて、脳が防衛的になっている場合には、頭の中でどう動くことが正解なのかを探り、入念に調べたり、細かいことまで気にしたりするために、防衛意識を持たない周りの皆とは食い違いが出てきます。また、自分を不利に追い込むような相手に対しては、敵だから許せないというスイッチが入り、今までの恨みつらみなどから、ひつこく付き纏い、ネガティブな感情を向けます。

 

このようにトラウマによる自律神経系や覚醒度の調整不全が起きると、正常な状態と興奮した状態(過剰な思考や行動)が一日の間でも頻繁に切り替わります。そして、身体症状として表現したり、攻撃的になったり、衝動的な行動を取ったりして、悪い面ばかりが目立ち、恥をかく、誤解を招く、不当な罪を着せられるなどの失敗体験が続くと、腹を立てる回数も増えます。

 

ただし、年齢を重ねるごとに、自分の恥ずかしいところに気づくようになり、もう恥をかきたくないから、周りの目を気にして、良い子や望ましいキャラクターを演じるようになります。また、過剰な防衛から、落ち着かなくなったり、怖がったり、イライラしてばかりでは、学校のクラスメイトとうまくやれないので、生き残る術として、自分のいらない感覚や感情を切り捨てて、自分を強く見せたり、明るく振る舞ったりして、他者に必要とされることが自分の快感となっていきます。さらに、自分は大したことなく、価値のない人間で、恥ずかしい存在だと思うと、胸の中が搔き乱されてしまうため、人から賞賛されることが、自分の価値が高まる手段となり、学校集団の輪の中心に入ろうとします。

力の無さを嘆き、ただただ強くなろうとする


親の不在やネグレクトなどを受けた子どもは、幸せな思い出を語るだけの経験がないので、無意識のうちに、自分を誇張させた作り話をしたりします。同じクラスの子どもとの会話は、自分では変えようのない不幸や絶望を思い出す言葉が散らばっているので、自分は生まれつき劣っているんだと思い込み、元気を無くしていきます。

 

その一方で、落ち込んでいるときは、自分を誘惑してくる悪魔が囁き、欲求を満たそうとか、気分を晴らすことに対して、ドーパミンの神経物質が異常に刺激されます。家庭と学校の二重苦になりながらも、なんとか必死に生きているので、楽に生きている奴らや恵まれた暮らしをしている人を憎く思います。また、つまらなくて満たされない思いとか、やり切れない思いを分かってくれない怒りとか、自分なんて何をやってもダメだとか、無力さ、孤独、被害者意識が高まります。

 

小学校の生活が辛くて、自分の力の無さを嘆き、ただただ強くなりたいと子どもながらに努力していき、コミュニケーション能力を身につけて、盛り上げ役をして、皆の輪の中の中心になりたいとか、一番に目立ちたいとか、人の上に立とうとして、周りから賞賛されたいと頑張ります。そして、凄い自分を演じ、虚勢を張り続けて、自分がリーダーになっていき、思い通りにやっていたら気持ちが楽で、やりたいようにやっているときが一番輝いていると感じます。

 

このように自己愛的な子どもは、周りの評価に敏感なため、他者と比べて、自分の方が優位に立っているときに幸せを噛みしめて、気持ちが落ち着きます。逆に、自分が不利な立場にいると、いたたまれない気持ちになり、その場にいられません。頑張っていても、自分の思い通りにいかなくなると、不快感が強くなるため、苛立ち、無表情、不機嫌、投げやりな態度を取って、精神的ストレスが溜まります。

自己愛傾向が強い子どもの傾向


学力が高い子や運動神経が良い子は、学校で教師からの信望が厚くなり、クラスメイトを従えて、心と身体を最高の状態にしたまま、自分の主張を一方的に押し切る尊大な自己愛を持つようになります。一方、知的に弱く、空気が読めない自己愛的な子どもは、周りの大人から見ると、身勝手で気分屋で自己中心的な行動を取っているようにしか見えないので、なかなか評価されません。

 

典型的な自己愛性パーソナリティ障害と診断されるような方は、子どもの頃から、闘争本能を剥き出しにして、自分を凄いと思っており、周りの皆はできない人たちと思っています。サッカーやバスケットボールなどの集団競技では、誰にもパスを回さず、自分一人でゴールを決めようとするような自己中心性を発揮します。そのため、普段の頑張りが親や先生から評価されなくて、ガラガラと崩れ落ちるような絶望のなかにいると、現実よりも空想の中で、自分を守るようになり、自分は何でもできるんだとか、凄いんだと思い込むようになります。そして、周りから認められたいと何かを欲すれば欲するほど、ストレスになって、更なる欲求が生じてくるので、対象を求める質も病的になります。

 

強いストレスに曝される環境では、人はそのストレスを発散しようとするので、今までの不平、不満、恨み、自己存在の虚しさを晴らすようになり、自分より弱い立場のものを力で押さえつけていきます。また、幼い頃からの不幸な人生を回避しようとして、先手を打って安全な環境を作ろうとします。自分が不利な立場になると、ターゲットを作って、そいつからマウンティングを取って、自分が有利な立場であるかのように示します。ターゲットに対しては、人を人とも思わない態度を取ったり、重箱の隅をつつくように細かく注意したり、ひつこく粘着し攻撃して、無意識のうちに自分が有利になる構造を作り出します。

 

自己愛的な子どもから、ターゲットにされた子どもは、憎悪を向けられ、しつこく付き纏われながら、暴言や暴力を振るわれたり、いじめられたりして、とことんまで追いつめられていきます。そして、被害を受けるたびに、やり返したり、やり返されたりして、喧嘩両成敗になり、不運な学校生活になります。いじめられた人は、人が怖くなり、無表情になっていって、視線恐怖、関係妄想、被害妄想、うつ病、解離などの症状を呈して、生きる屍のようになることもあります。

 第5節.

自己愛性パーソナリティ障害の思春期以降


中学生以降になると、自分のことが客観的に見れるようになり、児童期の怖がりで泣き虫な部分や、大げさで芝居がかった部分は不利に働くと考え、抑制できるようになります。病的な自己愛が強い方ほど、自意識が過剰で、上昇志向が強く、近くにいる者の視線や反応を気にします。そして、中学、高校では、いけているグループに属するか、いけていないグループに属するかで、セルフイメージやのちの経験に大きな影響を与えます。いけていないグループに属する子どもは、自己肯定感は高まらず、劣等感を強めます。対人関係が得意ではなく、恋愛をするよりも、現実との関わりを避けて、自分で決断や実行をしなくなり、自分ひとりの誇大な妄想に耽るようになります。このようなタイプの方は、回避型や解離型の自己愛性パーソナリティ障害になるかもしれません。

 

その一方で、いけているグループに属する子どもは、異性にモテるので、自分は優れていると思うようになり、気が強く意地悪になっていきます。対人関係に自信を持ち、現実的に異性と恋愛して、誰よりも目立ちたくなります。そして、自分の思い通りにできると傲慢になって、人を見下すようになり、自分の主張を振りかざして、強圧的な態度で周りをコントロールしていきます。人前で注目を浴びたり、特別扱いされたりすることが快楽や心地良さに変わります。そして、その快感を何度も得ようとして、他者に良く見られるために完璧な役柄を演じていきます。そのうち、一目置かれている自分のことを凄いと思い込むようになり、他者に良く見せている自分でいられることが好きになります。

 

本当の自分は臆病で、怖がりで、傷つきやすくいのですが、そういった恥ずかしい部分がまるでないかのように無視され、強いところを見せていくようになります。小さい頃の恥をかかされてきた子どもの部分の感覚を切り離し、他者と比べて自分の方が素晴らしいと思うようになります。そして、自分でいられる感覚の希薄さや劣等性を、他者から承認されることで埋め合わせをします。このようなタイプの方は、一般的な自己愛性パーソナリティ障害になります。

 第6節.

自己愛性パーソナリティ障害が形成されるまでまとめ


こうした偏った行動様式が形成されると自己愛性パーソナリティ障害になります。過激な言い方をすると、自己愛性パーソナリティ障害の方は、私は人間であるという人間化が十分になされておらず、感情は鈍磨し、自己感覚も希薄で、その場その場の反応だけで生きています。他方、野獣のように本能を剥き出しにして、こうなりたいという目先の利益を追求します。また、感覚は鋭敏で、嫌悪するものや雑音に耐えられず、自分の置かれた状況や周りの雰囲気、他者の気持ちに過敏なところがあります。メンタルが傷つきやすく、誇大な自己像を持つことで自己防衛しています。たとえ自分がミスを犯しても、周りのせいにして、自分を肯定しつづけます。

 

自分らしさを取り戻して、穏やかな状態を維持するには、他者の賞賛を必要としており、周りの視線や反応を気にして、身のこなしがスマートで外見的な魅力があります。また、外見的な魅力とコミュニケーション能力の高さから、人を惹きつけることができますが、どさくさに紛れて、自分が有利になる構造を作り出します。そして、もともとの弱さを覆い隠すような万能感を持ち、すごい自分のことを愛しており、そんな自分を賞賛してくれる者を好きになりますが、相手の内面まで理解しようとしたり、人を愛そうとする利他性は育っていません。

 

自己愛的な子どもは、ストレスが少なく、副交感神経が優位になると、自分が周りにどう見られているかを気になりながらも、何も問題なく過ごせて、環境に順応していく良い子でいられます。しかし、ストレスから交感神経系が活発になると、安全かどうかが気になり、自分と他者を比較して勝ち負けにこだわって、人を見下し、周りの気持ちを無視して、自己中心的、操作的、不寛容な行動をとります。また、家族や学校社会への不信感から、警戒状態が続き、ストレスホルモンが絶えず高くなり、感謝の気持ちや共感性よりも、反発する力が育っていき、抑制的で良い子どもの部分は無力化されます。そして、自分には実現できないことなど何もないといった尊大で全能感を持った子どもの部分が日常生活の代わりを担います。

 

自己愛性パーソナリティ障害者は、人によって両極(世間の目を気にして、環境に適応し、抑制的で麻痺しやすい無力な部分と、環境に適応するよりも、賞賛されることを求めて、傲慢な行動を取る誇大化された部分)の振れ幅は違いますが、この二重の状態を行ったり来たりして、相手や場面によって極端な動きを見せるのが特徴です。この自己調整不全ゆえに、自己中心的な見方をするようになり、自分が楽しいかどうか、自分に価値があるかどうかが判断の基準になります。そして、穏やかさを願うこともあれば、他者のことなんてお構いなしに力を求めて、理想や幻想の世界のなかで生きています。

 

トラウマケア専門こころのえ相談室

更新:2020-06-22

論考 井上陽平

 

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病的自己愛チェック

病的な自己愛度チェックの50項目載せています。自己愛の方は、対人関係の取り方が極端で、無力な自己と万能な自己が両極にいて、好きなように生きることで、体を楽にします。

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病的自己愛の末路

表面ばかりを取り繕うだけの生き方をしてきて、最終的には、体調の悪さや痛みや性格の悪さだけが残ってしまい、愛のない哀れな年寄りになって、孤独になる可能性が…

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破壊的自己の精神学

破壊的な自己を持つ人は、美しい対象を求めて、弱者を助けたり、社会の役に立ち、光輝きたいという思いと、理想には辿り着けず、無理なんだ塞ぎ込んで閉じこもる暗黒面があり…


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自己愛との接し方

自己愛性パーソナリティ障害者との接し方について考察しています。彼らは惨めな立場にいられないので、少しでも優位に立って、気持ちを楽にして、安心を得ようとします。

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自己愛の治療法

自己愛性パーソナリティ障害者には、自己心理学に基づいたカウンセリングが有効です。心の体のメカニズムを理解して、嫌なことでも耐えていけるような強靭な肉体を作ります。

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自己愛と完璧主義

完璧主義な方は、この世の嫌ものに引きずり込まれないように、そこに汚染されない、自分だけの完全無欠の真っ白な状態を保とうとします。そして、純潔を望み、不純物を嫌います。