自己愛性パーソナリティ障害の顔つき

▶自己愛性パーソナリティ障害の顔つき

 

自己愛性人格障害は、行動特性だけでなく、顔つきなどの外見にも共通性があり、特に目に特徴があり、従って、この障害を見分けるためには、目を見るとよいと言われています。獲物を探しているかのように目をギョロギョロしており、男なら爬虫類、女なら般若のような顔をしていると言われています。人の顔を見ればその人の性格や生活背景をなんとなく想像できるものです。また、自己愛パーソナリティ障害からくるキャラクターや行動傾向が顔つきにあらわれているのかもしれません。特に、対人コミュニケーションにおいての視線や表情、姿勢、発声、感情のコントロール、覚醒度(過覚醒-低覚醒)等の情報処理の仕方は、その人の性格傾向を見ていくうえで重要な項目になります。しかし、障害を抱えていなくても、それに近い顔つきの方もおられるので、顔つきで判断してしまうと人権侵害に繋がるので注意が必要です。

 

▶爬虫類のような顔つきになるのは

 

自己愛パーソナリティ障害はどのようにして爬虫類のような顔つきになるのか、その流れを記述していきます。自己愛的(自己没頭的)な人は、発達の早期段階で外傷体験を被った人がほとんどと言われています。人間は、乳児期から児童期に入る頃までに、生存本能を司る脳幹(爬虫類脳)や大脳辺縁系(旧ほ乳類)が成長していきますが、その時に虐待、DV、ネグレクト、母性剥奪、事故、事件、自然災害、手術の医療トラウマなどを受けると、戦慄や無力化されたトラウマそのものが情動脳(脳幹、大脳辺縁)や身体の神経系に過剰なエネルギーとして留まります。身体内部では、得たいの知れない不可解な力(解離させバラバラにする力、内部で進行している破壊活動)が寝ている間でもずっと働き続けています。そして、一瞬その人に取り憑いて、恐怖や無力感が膨らみ、自己感覚を小さくしていくので、それに怯えるようになります。この破綻恐怖の防衛として、対人場面では、自分の存在を誇張するようになり、周囲に溶け込み、巧みに操作して、他者に認められようと努力していきます。また、彼らは、日常生活において、あたかも正常であるかのように表面上を取り繕いますが、軽いストレス刺激にさえ、脳の扁桃体という部分は、迫りくる緊急事態として察知します。そして、動物的で反射的に危険を感じて警戒してしまい、ストレスホルモンが副腎から多量に分泌され、体中の細胞が「力を見せつけてやれと…」指令を受けます。ストレスホルモンが常に高い状態にあると、体の方は、緊張していき、自分をどうにかして守ろうとするため、頭や首、目は特定の方向に向いて、闘争・逃走反応に移る準備をしています。脳の方は、サバイバル状態になっていき、気配や物音、臭い等に過敏になり、目の前にあるものが敵か味方か、快か不快かをアセスメントしています。そして、快の刺激を求めて接近しますが、不快の刺激に対しては回避するか、闘うようになります。

 

また、通常の人の注意の向け方とは違っていて、強い情動反応による感覚過負荷と意識狭窄の間を行き来しており、注意欠陥、集中困難から、同時に複数の視点を抱えることが難しい状態にあります。さらに、些細な問題に直面しただけで、自制が利かなくなるので、強烈に苛立ち、短気になります。そして、闘争・逃走の覚醒度の高さや知覚過敏から、前頭葉が十分に機能しにくくなるので、自分や他者の精神状態を十分に読み取り、受け取りすることが難しくなります。あとは、親の価値観(プライドを持て、強く生きろ、一番になれ)を刷り込まれていくことで、自己中心性は高まり、行動が極端になります。このような状態が続くことで、性格や行動傾向も変化していき、理性的な判断を求めても難しくなり、その後の人生に暗い影を残します。つまり、両生類や爬虫類といった進化上の祖先たちには有効であった太古的防衛操作の中に全身すっかり汚染されているため、他者の気持ちを読み取ることが難しく、顔つきまで爬虫類のようになっていくのかもしれません。

 

人は愛着システムや社会交流システムが作動しているときは、柔らかい表情や目つきをしていますが、交感神経系に乗っ取られ、興奮や過覚醒システムが駆動すると顔つきは一変して、獲物を狙うような目つきになります。子どもの頃から、様々なトラウマ的な体験を受けると、人の神経組織は捕食する側(闘争)と捕食される側(逃走、凍りつき)ともに双方が有利になるよう形成されていきます。つまり、発達早期に異常な環境にいると、脳や神経システムはその過酷な環境の中で生き抜ける最適なかたちに変形されていきます。捕食する側は、自己愛性人格障害とか反社会性人格障害になりますが、損得勘定が最優先される市場主義社会において、捕食する側にいる自己愛性人格障害の人は社会的に成功者になる可能性は高いです。一方で、捕食される側は、虐待やいじめ被害者に多い解離性障害やうつ病、回避性人格障害、対人恐怖症の人々ですが、自己愛過敏型の人は解離傾向があるので、捕食されもするし、捕食する側でもあるのかもしれません。

 

複合的なトラウマを負うことにより、人間の最も洗練された理性脳よりも、危険に過剰に反応し、警戒する情動脳や爬虫類脳が支配していくので、目の前にある快に飛びつき、不快なものに回避するようになります。そして、頭のなかでは、敵か味方を瞬時に判断して、自分が得をしたいとか、安全でいたいとか、楽になりたいとか、動物的本能の赴くまま行動します。そして、快原則や損得勘定が何より優先されて、自分一人の利益を守るために行動します。自分の利益のためになら、身近な人を道具のように不当に利用しますが、罪悪感や自分の加害性に無自覚で、そんな自分に対して自己肯定しています。その一方、視覚優位で警戒していて、危険を察知することにエネルギーが注がれているため、本当の自分は何をしていいのかわからず、こころは空虚で希薄で、想像性や身体感覚に乏しくて、その場その場で生きています。ただし、理性も十分に働いているので、生き残りをかけた損得勘定から、社会の規範には忠実に従い、スマートに振る舞うことができます。また、相手の気持ちを考えず、自分勝手に振る舞ってしまうことで、周りに嫌われていくこともありますが、自分は嫌われてしまっているとビクビクしながら、相手の顔色を伺うタイプの自己愛の人も多いです。自己愛性パーソナリティ障害の人は、自己中心的な誇大性と自己感覚の乏しい無力性の両極があります。

自己愛性パーソナリティ障害の子どもの頃

▶幼少期の脳の成長とトラウマ

 

自己愛パーソナリティ障害がどのようにして形成されていくのか、乳児期から児童期にかけての流れを記述していきます。人間は意識と無意識の適度のバランスを保ちながら、日常生活を営んでいます。また、人間は理性(最も進化し洗練された部分)と情動脳(最も原始的な部分)の二つのシステムのバランスが良いと自分が自分であるという感じをしっかり持てて、この世界を生き生きとして感じることが出来ます。

 

生まれたての赤ん坊は、交感神経系と副感神経系のなすがままになっており、乳児期は爬虫類脳(脳幹)が取り仕切っていて、自分の身の安全などに努めています。母親の世話(肌を包んで安心させてもらうぬくもり)があると、喜びや安心の感覚が育ち、愛着システムや社会的交流システムが活性化して、人間らしく生きることの土台になります。その一方で、養育者が虐待的であると、子どもは恐怖に怯え、自己否定、不信、警戒、焦燥、不満、興奮、麻痺、反抗心など様々な気持ちを同時に持つようになります。怒りがちな養育者をなだめようと自分の感情を最大限に抑制して、一生懸命に振る舞い、小さい子どもなりに理性脳をフルに使って、養育者のご機嫌を取りながら、行動の順序を考え、誉めてもらおうと努力します。しかし、養育者の虐待やDVが続くと、子どもは愛着を持ちながらも、自分を悪い子だと自分を責めて、常に警戒した状態になり、他人の顔色や気持ちに過敏に反応し、落ち着きが無くなります。また、ひどい親へのやり切れない思いとか、理解してくれないどうしようもない親への怒りとか、親の身勝手な行動に振り回されて身動きが取れなくなります。脳の扁桃体は、親の表情の変化に対して、危険であると素早く察知するようになり、ストレスホルモンの高まりと交感神経系の働きが優位に発達します。そして、ほんの些細な刺激にも強いストレスに感じて、情動や身体が闘争・逃走モードに染まっていき、と同時に、体調不良(呼吸が浅く早く、動悸の激しさ、倦怠感、身体疼痛、自律神経の乱れ、便秘など)を抱えていきます。身体への不安の対処法として、外側の世界を自分の思う通りに変えていき、心を落ち着かせようと試みます。また、母親の不在やネグレクトがあると、子どもは自分を安心させて落ち着かせてくれる対象が欠如するので、私は人間であるという体験が希薄になり、想像性は育たず、感情や自己調整機能に障害が出やすくなります。

 

▶自己愛性パーソナリティ障害の小児期

 

厳しい家庭環境にいる子どもは、幼稚園や保育園、小学校に通い始めると、幾分か自由になりますが、より複雑な集団場面での適応が求められます。養育者のネグレクトや不在、虐待を受けた子どもは、家では大人しく良い子ですが、学校社会では交感神経系のなすがままになっており、抑圧されていたものが溢れ出すかのように感情的になったり、過剰な覚醒から落ち着いていられなかったり、行動が活発で荒くれ者のレッテルを貼られます。子どもは動物的で反射的な行動を取ったり、注意散漫になったり、不作法に振る舞ったりと集団場面で不適応になりやすく、学校の先生によく怒られます。そして、子どもは周りの児童と比べてどのポジションにいるのかが気になるため、自分だけが理不尽な目に遭わされ、集団の晒し者にされると、恥や敗北、無力感に打ちのめされて、やり場のない怒りを抑制する結果になり、再トラウマ化していきます。また、親の不在やネグレクト等を受けた子どもは、自分の幸せな思い出を語るだけの経験がないので、無意識のうちに、自分を誇張させた作り話をしたりします。同じクラスの子どもとの会話は、自分では変えようのない不幸や絶望を思い出す言葉が散らばっているので、自分は生まれつき劣っているんだと思い込み、元気を無くしていきます。その一方で、落ち込んでいるときは、自分を誘惑してくる悪魔が囁き、欲求を満たそうとか、気分を晴らすことに対して、ドーパミンの神経物質が異常に刺激されます。

 

家庭と学校の二重苦になりながらも、なんとか必死に生きているので、楽に生きている人や普通の暮らしをしている人を憎みます。また、つまらないとか満たされない気持ちから、やり切れない思いを分かってくれない怒りとか、自分なんて何をやってもダメだとか、無力感、孤独感、被害感、警戒心が強くなります。自分の力の無さを嘆き、ただただ強くなりたいと子どもながらに努力しており、人の輪の中の中心になろうとか、人の上に立とうとして、大人から賞賛されたいと頑張ります。そして、自分の思い通りにやっていたら気持ちが楽で、やりたいようにやっているときが一番輝いていると感じます。また、他人と比べて、自分の方が優位に立っているときに幸せを感じて、気持ちが落ち着きます。しかし、自分の思い通りにいかないときは、些細なことで苛立ち、不機嫌になり、頑張った分だけ、精神的ストレスは溜まっていきます。また、周りの大人から見れば、自分勝手で気分屋で自己中心的な行動を取っているようにしか見えないので、なかなか評価されません。普段の頑張りが評価されずに、ガラガラと崩れ落ちるような絶望のなかにいると、現実よりも空想の中で、自分のことを守るようになり、自分は何でもできるんだとか、凄いんだと思い込むようになります。そして、周りから認められたいとか、優越感に浸りたいと何かを欲すれば欲するほど、ストレスになって、更に欲求が生じてくるので、対象を求める質も病的になります。また、幼い頃からの不幸を回避しようとして、先手を打って自分の安全な環境を作ろうとします。今までの不平、不満、恨み、自分の存在の虚しさを晴らすように、弱いターゲットを見つけては、ひつこく粘着し攻撃して、無意識のうちに自分が有利になる構造を作り出します。ターゲットにされた子どもは、憎悪を向けられ、しつこく付き纏われながら、暴言や暴力を振るわれたり、いじめられたりして、とことんまで追いつめられていきます。

 

▶自己愛性パーソナリティ障害が形成されるまでのまとめ

 

こうした偏った行動様式が形成されると自己愛性パーソナリティ障害になります。過激な言い方をすると、自己愛性パーソナリティ障害の人は、私は人間であるという人間化がなされておらず、その場その場で生きているので動物的です。ただし、自分の劣等性を隠すために、他者の賞賛を必要としているので、常に人の視線を気にしていて、身のこなしがスマートで外見的な魅力もあります。また、外見的な魅力とコミュニケーション能力の高さから、人を惹きつけることができますが、どさくさに紛れて、自分が有利になる構造を作り出していきます。

 

自己愛的な子どもの場合は、副交感神経が優位になると落ち着いて良い子でいられますが、交感神経系が活発になると、自分と他人を比較して勝ち負けにこだわり、自己中心的、操作的、不寛容な行動をとります。また、幼い頃からストレスホルモンが絶えず高い状態にあるので、家庭や学校生活が厳しくなると抑制的で良い子どもの部分は無力化されていき、自分には実現できないことなど何もないといった尊大で全能感を持った子どもの部分が日常生活の代わりを担います。自己愛性パーソナリティ障害の人は、人によって両極(抑制的で麻痺しやすい無力な部分と、賞賛されることを求め傲慢な行動を取る誇大化された部分)の振れ幅は違いますが、この二重の状態を行ったり来たりしており、相手や場面によって極端な動きを見せるのが特徴です。穏やかさを願う自分になるかと思えば、他者のことなんてお構いなしに病的に何かを欲して、力を求めて、理想や幻想的な世界に生きています。

 

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