トラウマの中核

▶トラウマの中核

 

トラウマの衝撃に曝された人間は、神経系が極限にまで研ぎ澄まされます。人が生きるか死ぬかの場面では、大脳辺縁系と交感神経を中心に、闘争・逃走モードに入り、身体はもがき、手足をばたつかせて、頭の中は砂嵐や竜巻に襲われます。しかし、勝ち目がなく、全ての望みが断たれると、身体が固まり凍りついて、動かなくなります。この時は、既に意識を失っているかもしれませんが、背側迷走神経のスイッチが入っています。しかし、このままでは確実に死に向かってしまう場合は、身体の痙攣と震えにより、命を吹き返して、脳幹と交感神経を中心に、死んだふりからの覚醒(エネルギー)反応が出ます。この覚醒反応は、激しい攻撃性を伴い、死に瀕したときの対処方略で、敵に一矢報いるための行動でありますが、理性が働かないために自暴自棄な行動になります。それでも退路を塞がれ、止めを刺されると、心も体も粉々にバラバラになり、死に至るかもしれません。痛ましいトラウマの場合は、九死に一生を得て、無事に生還できたとしても、過去のトラウマを思い出すと、体は身震いします。

 

トラウマとは、心や体に爆弾を抱えるようなものなので、それらに絶対に触れられたくありません。普段は、自分の感覚を麻痺させて、強いふりや明るいふりをして、トラウマの中核部分は意識の外に置いています。しかし、ふとした瞬間にトラウマを思い出すと、体は凍りついて、怯えた表情になり、過剰警戒から、目の前の人が自分を傷つけてくる恐ろしい敵のように見えます。

 

胸が苦しくて、息が出来るかどうかで、息が出来なくなると、頭の中が真っ白になり、自分の体から離れていきます。

 

外傷体験のショックのときに、身体は凍りついて、意識を失い、捻じれたまま倒れ込みます。

 

生きるか死ぬかの恐ろしいトラウマを抱えている子どもが、家の中でも、親の機嫌や要求に従うしかなく、危険を察知した生き方になると、凍りつきや死んだふりに固着して、慢性的な不動状態に陥ります。親の目を気にして、窮乏した子どもは、息を潜めて、死んだように生きるようになり、その代わりに自分の強い部分が日常生活の大部分を担うようになるかもしれません。また、危険を察知して、身体を凍りつかせた生き方は、自分の中にいる爬虫類脳に支配されたモンスターの部分が暗い穴の壁をつたって這い上がろうとしていることを感じているかもしれません。

 

トラウマのある人は、震え、痙攣、揺れ、鳥肌、吐き気などは、固まり凍りつき、動かなくなった身体をもう一度息を吹き返すために必要な反応になります。大脳辺縁系や脳幹を中心にした闘争・逃走・死んだふりからの激しい攻撃性は、生き残るために必要な本能

 

動悸がして、胸が苦しくなり、息遣いが荒くなったところで、大きなショックを受けて、息が止まり、意識がぼーっとしていく。

 

トラウマを経験したときの体の筋肉の動きの振れ幅は、そのトラウマの経験を身体的に可視化したものと等しく、嫌な気持ちをしたときに身体にぐっと力が入り、筋肉が硬くなって、肥大化して、形が浮き出る。一方で、トラウマの怒りとは対極にある、放心状態とか、眠ったように意識レベル低くて何も感じないよう状態、虚脱した状態というのは痩せ細って、ガリガリで、青白くて、筋肉が極度に脱力してしまう。

 

もう一番収縮して、小さくて石ころみたいなガチガチな状態になって、そこでロックがかかって、何も伸ばせない状態です。

小さくなるだけ縮んで、ロックがかかって、伸ばし方が分かりません。

 

 

筋肉はトラウマというのは、激しく興奮した後に、呼吸が苦しくなり、恐怖に凍りついて動けなくなる体験や、息が吸えなくなって、心臓の鼓動が止まりそうで、立っていられなくて、全身が崩れ落ちていくといった現象です。

 

このようなトラウマを発達早期の段階で受けると、身代わりになった部分は、身体の中に閉じ込められます。一方、圧倒的な暴力の場合は、反撃しようとした激しい攻撃性の部分が身体の中に残ります。トラウマの中核には、激しい攻撃性と身代わりになった部分と、恐怖に凍りついた部分があります。

人は、慢性的にトラウマを抱えていると、交感神経や背側迷走神経が目まぐるしく交差していて、心身に様々な症状が出ます。トラウマ持ちの人が、不快な状況に置かれると、無意識のうちに交感神経のスイッチが入って、過覚醒になり、ちょっとした刺激にも、素早く反応して、怯えたり、イライラすることが増えます。そして、過覚醒になりながらも、不快すぎる状況を解決できないと、胸がざわつき、足は落ち着かず、身体が硬直(凍りつき)していきます。背側迷走神経が過剰になると、心臓の辺りが鉛のような塊になり、痛く苦しくなります。気管支は収縮して、息が苦しくなって、過呼吸やパニックになります。全身が凍りついた状態で、なおも締めつけられると、頭痛や気持ち悪さ、胃が捻じれるような痛みが走り、その痛みで爆発しそうになって、自傷行為や攻撃行動などの自暴自棄になります。人によって、痛みの身体を切り離すか、意識を朦朧とさせるか、気を失うか、機能停止させるかなど、解離した世界の中で回復を待つ人もいます。一方、身体が沈み込んで、崩れ落ちると、心拍や血圧が低下し、虚脱状態に陥って、起き上がれなくなります。虚脱状態では、身体は痺れて、心なく、言葉もなく、何も食べずに、訳も分からないことを話します。

 

 

その恐怖のせいで、体は動きたいのに、動けなくなります。そして、人は動けない絶体絶命のピンチのなかで、死にかけながらも、心の内なる世界に逃げ込みます。トラウマは負う側は、基本的に弱者なので、戦うか逃げるかしたいと思っていても、心はそうしようとしなかったり、そうできない状況にあります。

 

常に凍りついた状態が続くと、身体の中にマグマのような怒りや痛みの部分が大きくなります。そして、自分で制御が利かなくなります。

今まで抑えてきたけど。

痛みで叫び出したくなる身体(情動)が自分に取って代わるようになります。

痛みの身体のほうが圧倒的で大きな存在になります。その部分は、とぐろを巻く蛇のように冷たく残忍で、目をギョロギョロさせ、手がつけられないくらい凶暴です。それは、ぐちゃぐちゃな感情の塊で、鬼のような怒り、激しい攻撃性、降り積もった恨みや苦痛、子どもの頃の恐怖や悲しみなどが渦巻き、最高の極限状態で、混乱と絶望です。

 

自分が傷つけられた時の体験を身体のほうが記憶していて、身体の中の渦巻く感情や生理的反応に混乱します。

 

 

トラウマティックな場面では、全神経が外に向き、身体が縮まり、極限状態です。恐怖で胸の圧迫感からすすり泣き、息が止まって、窒息しそうになって、胸の辺りから何かが出てくる。

 

 

 

本来の部分は、恐怖に怯えて、凍りついていきます。そして、恐怖や戦慄の衝撃を自分で感じることは耐えられません。その衝撃に耐えられないと黒い大きな穴(ブラックホール)に堕ちていきます。一方、九死に一生を得るために、全てが激しい怒りになります。怒りで動き、いつでも反撃できるようにしています。窮鼠猫を嚙むということわざのように、追い詰められた弱い者が追い詰めてくる強い者に反撃します。

 

 

 

人は、生きるか死ぬかの場面では、恐怖に固まり、動けなくなるか、向かってくる敵に対して、自分の身を守るために、戦うか逃げるかの行動を取ります。トラウマのメカニズムでは、敵を感知して、戦うか逃げるかを成功させたら良いのですが、そういかない場合、凍りついて身動きが取れなくなります。そして、時間が過ぎさるのを待ちますが、痛みや恐怖、内側から湧いてくる攻撃性を抑え込まなければなりません。凍りつくトラウマを負うと、体の中に莫大なエネルギーを滞らせることになるので、神経が痛んで、体が麻痺していきます。

 

トラウマの衝撃は、全身に針が刺さってるような緊張状態で、猫が毛を逆だてるような感覚になります。手足に力が入り、胸がざわつき、鳥肌が立ちます。胸には痛みの塊があって、苦しく、何かを出したがっており、お腹は吐きそうで、気持ち悪くなりますトラウマの中心は、恐怖で身体が石のように固まり、息が吸えなくなり、吐いても吐いても、息が吸えません。機能は制限されてしまって、手足は痺れ、自分自身は、頭のどこかに逃避して、体はうずくまります。

 

 

トラウマがある人は、いつも何か追われているようで、焦燥感に駆られると、心臓がバクバクして、呼吸が早くなります。不安が的中して、危険な状態になると、体が震え、興奮して、パニックになり、自分の声が聞こえなくなり、自分の意識が飛んだり、自分を後ろから見ているよう感覚に陥ります。パニック発作の時は、顔が真っ青で、動悸が激しく、体が震えていますが、周りにバレないように、自分を落ち着かせようとします。パニックの後は、顔が真っ白で、唇や爪は青紫、喉が渇き、体調が悪くなります。

 

幼少期の頃のトラウマや性暴力被害に遭った人は、神経系にストレスホルモンやコルチゾールで溢れ返ります。

トラウマを負った後も、不快なことが起きたり、身勝手なことをされると、頭の中で嫌な記憶が蘇り、呼吸は荒くなるか、止まった状態になり、心臓はバクバクいいます。体は顔や首、肩、背中がガチガチに固まっていきます。怒りや恐怖に溢れたり、混乱した状態になるかもしれません。

 

虐待する親や理不尽な先生、いじめっ子、パワハラ上司、モラハラパートナー、大人数でおさえつけられことがトラウマになります。絶対的な強者に押さえられると、抵抗もできず、諦めて、地面に這いつくばります。肉食動物に襲われる草食動物のように、諦観するように他にない。恐ろしい雰囲気が漂い、社会的な権力の上の人が劣位に置かれている人に対して、

逆らってはダメで、攻撃するわけにはいけない。恐ろしさ、逆らえない雰囲気の中で、心の中では、相手反撃したりできないと思っていても、殴られたり、暴言を吐かれたりすると、体に痛みが走って、勝手に手足が反撃に出る。決して、殴ったり、手を出したりしてはいけない相手に対して、本能的な体は、痛みを加えられると反撃に出る。その心の中では、決して、逆らってはいけない存在だと分かっていつつ、体は勝手に動くから、そのような経験が複雑な気持ちや身体の反応が一瞬のトラウマの経験のなかで混在して、自分でどうして分からなくなり、パニックになることがあります。痛みと恐怖に与えながら、心と身体が別々に反応し、攻撃されている間はどのように対処していいかわからない。絶対的な強者に凌辱されてきた人は、手足に力が入らず、首や肩が固まり、全身が鉛のように重くなって、慢性的な不動状態になります。

 

相手を殴りかかりたい気持ちに対して、自分は身動きが取れない。手を出せずに、自分を押さえつけて、絶対的な強者に凌辱されてると、全身が切断されたり、打ちつけられような痛みが走ります。]

 

バラバラになっている理由ていうのは、心の中の考えていることは、人間関係を崩したらいけないとか社会的な人間関係を維持するための規範とかを考えている。だから、攻撃されても殴り返してはダメと考える。一方で、体は誰かに痛みを負わされると、自然に反射的に防御しようとして、やめてほしいとか、嫌、痛いとかで必死に止めようとしたり、こっちにこないでと突き返して、体は相手が誰であろうと防御のために反撃に出ます。その心と体が切り離された緊張、痛み、絶望のなかで、本人はどうしたらいいか分からない。この心身の分離状況が進むと、心は体の中に住まずに、頭の中で生活するようになります。