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愛情不足で育った大人

▶親の愛情不足、それとも子どもの発達障害?

 

今の人生が上手くいっていなかったら、その根本には、親から愛情をたっぷり注がれていなかったのではないかと思いたいものです。自分は母親に愛されなかったと思い、母親を憎むことがあります。1980年代は、母原病という言葉が流行り、お母さんの愛情不足が原因でうまく育たないことが話題になりました。今は母親の逆襲が起こっていて、この子は発達障害があるから、愛情を注いでもコミュニケーションが取りにくいために、うまく育てられなかったと訴える親が多くなりました。親は親で自分のせいじゃないと言い、子どもは親の愛情不足で育ったため、上手く生きれなくなったと言います。ただし、トラウマというのはさまざまなものがあり、虐待でもなく、母子関係でもなく、発達障害でもなく、出生時の医療措置の外傷や胎児期のストレス、手術中に麻酔が切れて恐ろしい体験、ぞっとするような事故、事件に巻き込まれるなどによって、身体が恐怖に自動的に反応するようになり、トラウマの解離症状を持つ人はたくさんいます。

 

▶日本の夫婦の繋がりは

 

日本の夫婦間はだいたい愛の関係で繋がっていないと言われており、損得勘定で繋がっていることが多く、愛情不足で育った人は多いのではないでしょうか。損得勘定やお金にこだわる親を見ている子どもは、親のことを尊敬することができません。そんな親に育てられた子どもは、自分に価値があると思えません。また、自分を肯定することが出来なくて、自尊心は当然のように低くなります。

 

▶愛情不足で育った大人の特徴

 

愛情不足で育った大人は、子どもの頃から、辛い思いをしてきて、親に心配をかけないようにと、きちんとした良い子でいて、喜ばせる方法を考えています。親に愛情を貰おうと、あれこれと考えて頑張り、いつも気を遣いながら話をしてきましたが、やがて愛情を貰えないことに悲しみ、苦しんでいきます。親から愛情を貰えなかった人は、身体の中で渦を巻く怒りの感情に苦しむことになりますが、愛されることや癒されること、普通に暮らすことを求めます。そして、子ども時代に得られなかった愛情を、他の誰かに求めます。しかし、愛が欲しいと求めれば求めるほど、それが叶わないと傷つきも大きくなります。そして、こころの中では、どうせ私なんか誰も愛してくれないとか、愛されたことない人間なんだから、愛し方なんてわからないとか、いつもひとりなんだと思います。また、どうせ誰にも愛されないからと、傷つくのを恐れて、距離を置くようになり、心を閉ざしていきます。

 

愛情を貰えなかった子どもは、前途多難な人生を歩むことになり、出口の無い迷路の中を彷徨っているかのように見えます。まず、子どもは自分が親に愛されなかったと思うことからの否認から始まります。彼らは、名付けようのない傷つきのなかで、愛着対象を失い、そのことについて考えられなくなります。再び、そのことについて考えようとしても、思考は停止し、圧倒される感情に支配され、我を失って、苛立つことがあります。彼らは、愛着対象の代わりにモノを愛するようになり、それにこだわり、尊厳を見い出していきます。そして、次第に本当に笑うこと、本音や本当の感情を見せること、勉強を努力すること、楽しみや嬉しさを感じることなど、生きる意欲を失っていきます。

 

子どもの頃からの長年にわたるトラウマがあると、いつも何かに怯え続けて、こころと身体は固まり閉ざされていくとか、あぶくのなか(離人)に閉じ込められてしまって、自分の意志で身動きもできなくなります。時が経てば、自分の居場所や周囲の人は変わっていきますが、こころと身体の中には、凍りつき変わらないものが残り続けています。そして、親の期待を裏切ってしまった自分は悪い子だからと、自分なんて愛される資格もない、塵のように捨てられると思ったり、変えようのないどうしようもない不幸を呪い、それでも生きていかなければならいので、この現実に絶望しています。

 

親から虐待を受けている場合、見た目は健常者でいられますが、こころの中は障害者で、こころの痛みまで誰も気づいてくれず、理解しようとはしてくれません。人は、外から見える姿と内側に抱えている苦悩との間のずれが大きくなればなるほど、心を閉ざしていきます。そして、親子関係で傷ついた人ほど、良い思い出を語るだけの記憶がなく、世間一般の話に合わせることがとても辛く、空気を読むことを求められる学校社会のなかでは孤立しがちです。人によっては、強いふり、明るいふり、賢いふり、まともなふりをして、自分の本音や本当の感情を隠して、いくつも仮面を被って笑顔を貼り付けて過ごしています。しかし、こころの奥底には、名づけようのない大きな感情があって、成熟とは程遠いほどの未熟なままの私がいて、ひとりぼっちで寂しくしています。その感情に触れようとすると、息がしにくくなり、胸が痛くなり、頭が痛くなり、訳もなく悲しくなって、突然泣いてしまうことがあります。しかし、このような書き方をしましたが、異なる事例もあって、愛情不足で育った子どもは、愛情を大事するような大人になり、良い家庭を持ちたいと思って、良い親になることもあります。

 

▶母親を亡くした悲しみ

 

母親を失う経験というのは、どの人にとっても、耐えがたい究極の経験であると思われます。その事実は、それは母親という存在が唯一無二の代替え不可能な存在であるからです。例えば、生後にお乳を飲ましたり、お漏らししたときにその汚れをきちんと始末して、新しい下着とかに取り換えたりとかの生きる上での生命線は母親が担ってきたからです。母親という存在は、誰にとっても特別で、その存在は取って替えられないために、その喪失感に耐えられない人がいます。

 

母親の愛情を強く求めて、期待を裏切らないように何でも頑張ってきたのに、それが叶わず、たった一人の母親が亡くなってから、何も考えられなくなり、自分のことが分からなくなる人がいます。このような人は、子どもの頃から、殺すか殺されるか、生きるか死ぬかの逆境体験の連続で、父親から母親への暴力を見てきたり、父親から酷い虐待や兄弟から暴力を受けてきました。本当はしんどいとか、辛いとか、母親に言いたかったけども、何も言えませんでした。そして、母親を悲しませたくなくて、何もないふりをしてきました。本音や本当の感情を言えずにきたので、だんだん自分の感情が薄くなりました。母親から見たら、自分がうまくやっているように見えていたかもしれませんが、心の中は傷だらけで限界でした。今でも心の中は傷ついたままで、母親が生きている間に分かってほしかったと思っています。

 

そして、最後まで、母親の愛情を求めていたのに、理解してもらえなかったことや小さく幼い頃の自分をそのまま受け入れてほしかったという気持ちで苦しみます。小さく幼い頃の自分は、悲しくて、孤独で、お母さんに対して「お願い、助けて」「私を見捨てないで、どこにもいかないで!」と呼んで叫んでいます。一人になると自分のことが分からなくなることが怖くて、何よりも恐ろしいから、そばにいてほしいと叫びます。しかし、その声が届かず、その苦しみから、現実感がなくなり、頭がぼーっとして、夢と現実の境目が分からなくなります。そして、心細くて、恐怖の中で、自分が無くなってしまうような感覚と戦います。最終的に、自分が自分でなくなってしまうと、心は死んだようになります。極限の混乱状態において、記憶は残らず、吐き気、腹痛、頭痛、心臓が止まりそう、過呼吸、めまい、フラッシュバック、凍りつきなど、様々な症状が表れます。

 

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