失感情症と無感覚

▶失感情症と無感覚

 

失感情症は、アレキシサイミアと呼ばれ、感情が鈍麻して感情の色が失せ、何かを感じる力が衰弱していくことをいいます。失感情症を患いやすいのは、境界性パーソナリティ障害や解離性障害、複雑性PTSDの方に見られます。

 

幼少期にトラウマのある子どもは、体の中に恐怖や怒りのエネルギーを閉じ込めます。家庭や学校生活のなか、本能とは逆向きの人生を選ぶと、感情を封印していくことになり、無表情、無感情になります。長年続くと、体が凍りついて、身体感覚も麻痺します。

 

幼少期の経験が大きく影響しており、物心ついた頃から、親の顔色を伺いながら、子どもらしく過ごせず、甘えることができない日々を過ごしてきました。親からの虐待や親同士の喧嘩が酷い、親の過干渉などにより、制限を受けながら、すっと良い子でいて我慢してきました。体は、危険を察知して、常に緊張しており、様々なことに敏感に反応し、恐怖心がありました。とても辛く、苦しい毎日の繰り返しで、何かを感じると生きづらくなるために、何も感じないようにしてきました。

 

失感情症は、性格が真面目で、我慢強く、素直な人、感情を表に出さない人、物静かな人などに多くみられますもともと怖がりなところがあり、人の目につくことが苦手です。人に悪く思われると生きていけないので、人に良く思われようと相手に合わせてきたような人が多いです。

 

怒ると余計に大変な目に遭うし、泣いたり怖がったりすると動けなくるので、そうした感情や感覚を無視していたほうが活動しやすい。自分の感覚を麻痺させて、できるだけ頭で考えて、正確に行動します。

 

自分の体を切り離していくと、正常な部分が未消化になってしまって、ネガティブさが増します。

 

多くの傷つきを経験して、悲しみ、元気がなく、心が麻痺します。酷いことをされて、受けるがまま弱っていき、心身が衰弱します。悲しい経験をしてきたために、これ以上傷つきたく思いが強く、外からの刺激を跳ね返す元気がないために、人との関りを避けるようになっていきます。

 

人前で泣かないように我慢することで精いっぱいで、生きているレベルの感覚が低く、体の感覚の感度が物凄く低くなります。辛いのをただ耐えています。世の中を見る目が、すでに悲しみの色に染まっているため、元気がなく、興味や関心が無くなります。次第に、複雑な感情を理解することが出来なくなります。

 

誰とも繋がっていなくて、途方に暮れて、自分のことが分からなくなっています。自分が何をしているのか分からない、痛みの伝達が無くなり、何も感じなくなる。無の世界を生きています。そして、自分で喜びを感じることができないので、常に他者を必要とします。

 

身体に安心感がなく、原始的な神経が活発になると、何かをしなければならないと考えたり、決められたことを守らないといけないと考えすぎて強迫観念にとらわれるようになり、心身に様々な症状が出ます。

 

神経が過敏で、身体に様々な症状が出てくるので、とても辛く、とても苦しい毎日の繰り返しになり、不快な感情や感覚を感じないようにしてきました。ただ、感情や感覚が分からなくなると、学校社会の複雑な人間関係を営むことが難しくなります。普通の人たちと同じことができなかったりするので、普通の人達の真似をしながら、暮らしていきます。

 

痛みは何層かに分かれていて、日常を過ごす部分は、痛みを感じないように、何も感じないようにしています。もし辛い体験を知ってしまうと、生活が出来なくなるから、感情が無く、何も感じなく、悩みがありません。自覚できないようにして生活しています。

 

失感情が強くなると、物事を分析したり、考えすぎる人生になります。ただ、感情が無いと生きているか死んでいるか分かりません。感情や感覚も分からなくなると、黒い渦のようなものに吸い込まれそうになって、絶望と混乱で分からなくなります。

 

感情に圧倒されやすいので、その場に対処するために、感情を抑え込んできました。

 

 

過酷な環境にいる人は、とても辛いという気持ちが分からなくして、自分の身体の痛みも感じなくさせて、

何も感じないでいるほうが楽です。

苦しみや不快感、辛さを感じてもいいことが無いし、

身体のあちこちの凝りや節々の痛みをを感じるのも耐えがたいことです。

 

何も思いたくない、何も感じたくない、

目の前のことに没頭したり、頭の中の思考で埋め尽くして、何も感じないようにします。

自分に向き合うと、苦痛や不快感で感じることに耐えられません。

自分を空っぽにすることで、喜びや楽しみ、嬉しい気持ちを手放します。

 

 

 

どうしようもない状況で、どうしていいか分からず、自分の感情を押し殺してきました。

そして、元気が無く落ち込んで、とにかく辛くて、苦しくて、感覚を麻痺させて、何も考えられなくなりました。

 

感じすぎるあまりに、大人を怖いと思っていました。感じすぎる性格では、集団場面でうまくいかないので、何も感じないようにしていたら、体が麻痺し、固くなっていきます。冷たく、感情の色のない

悲しみや辛い時を感じても、何も感じません。長期に渡るストレスに曝されて、身体は慢性的に縮まっており、今では、何も感じないように機能を麻痺させて、自分を守っています。自己否定と過去へのこだわり、自分を責め続けて、苦しみ抜いても不安があり、苦しいことが当たり前で、身体は麻痺していきます。手足が麻痺しており、今では、何がストレスかもわからず、自分の感情や感覚が分かりません。

顔はこわばっていたり、無表情でいたりします。

生活全般のストレスに耐えてきて、ストレスのなかを生活が普通になっていきます。胸の痛みから、息がしづらく、眠れなくなって、疲れていきます。自分に自信が無くなって、生きていくのもしんどくなって、落ち込みが激しくなります。

世界に一人に取り残されて、誰とも関われていない感じ。この世界は動いていても、自分には現実感がない。

複雑なトラウマにより、体が極限状態にあるので、体と心を空っぽにして、不快な感覚、感情が出てくる隙間を与えません。

神経の痛みをまともに受けていたら、精神がもたないから、痛みを切り離して、心を遠くに飛ばします。

 

人間の体は生命の危機に瀕すると、痛みを感じなように全身が固まり、体の感覚を切り離すことができます。そのため、外傷体験を負った人は、体の感覚を感じられなくなることがあります。

 

 

 

 

 

 

 

どうして私はこの家族に生まれてきたんだろうとか、どうしてこんな体に生まれてきたのかなと考えています」

身体が敏感で体調が悪くなりやすく、自律神経との戦い

こんなに苦しいなら死んでしまいたい、苦痛ばかりに耐えないといけないのか。

 

 

 

感情や感覚、苦しみ、痛みを消して、感じていることを空っぽにします。本当は胸が苦しかったり、喉が詰まったり、お腹が痛かったりするのですが、それを感じるとしんどくなるので、頭と体を切り離しています。

無感覚になると、楽しいと感じられなくなります。全く楽しめない自分と過去の楽しかったときの間でジレンマになり、イライラに苛まれます。

 

自分の感覚がないと、自分に意識が向かず、体よりも、思考的な部分で生きるようになります。

体より、頭で生きるようになると、自分と他人の区別が曖昧になります。自分が自分の人生生きている感覚が薄くなります。自分に意識が向けれず、他人にしか意識が向けれません

自分というものがなく、自分のために生きれず、自分が自分を生きていない。誰かのためにしか生きられない。本当に誰かを好きになったことがない

 

 体の中にトラウマがあるのに、親が分かってくれず、無感情、無表情に

 

自他の区別が分からない。自分の感覚が分からないから、相手の表情から、物事を認識する。

 

何をしていいのか分からない。自分が何をしたいのかが分からない。生きている感覚がなく、生気がなくて、いつ死んでしまうしまうかもしれない。

相手がしてほしいことをしてあげて、相手が幸せそうにしている顔を見ると、時分も幸せを感じられる。

 

 

 

発達早期にトラウマがある人は、何か目に見えない敵と戦っているようで、周囲を警戒し、肩が上がり、奥歯を噛み締め、手足は痺れています。本能的にずっと何かに脅かされているように感じており、体は固まり凍りついて、無感覚・無感情になります。

 

現実はとても苦しくて、体の痛みも強くなり、無感情と無感覚になって、ボディイメージが消えて、その先には、着ぐるみやはりぼてを着せられて、ぼわぁーんとした感覚になります。自分が空っぽでとても虚しい。何もなく寂しい。自分のことが良く分からない。自分に意識を向けることをしてこなかった

 

家の中に恐怖の対象がいて、生活全般のストレスから逃げることしか考えられず、気づいたら感覚が麻痺していきます。

失感情や失感覚になっていくと、心が傷ついていることに気づかなくなり、酷い環境に居座ることになります。

 

 

自分が苦痛だらけになると、心と体が合致しなくなり、無表情になっていきます。

自分では笑っているつもりや堂々としているつもりでも、外から見る分には無表情です。そのため、相手から怖がられたり、学校じめられたりします。どんな場面でも、喜ばず、憮然としているので、対人関係に自分の思うようにいかず失敗します。

 

体を凍りつかせて、麻痺させると、何も感じなくなるので、劣悪で危険な環境にいても、冷静に観察し、それなりにその環境で生き延びることができます。しかし、体を麻痺させていると、様々な生理的反応に気づけず、その劣悪な環境に踏み留まることになります。本当はしんどくて、つらいのに、劣悪な環境に長く留まり続けることで、体はストレスと戦い続けて、エネルギーが消耗し、免疫機能などは低下します。そして、心と体が限界に達すると、体は冷えていき、炎症を起こす物質に侵されて、副腎疲労になり、慢性疲労・疼痛で取り返しのつかない事態になるかもしれません